きなこが旅立った・2

1月27日 17:27ごろ 私の相棒であり半身と言っていい存在のきなこが、虹の橋のふもとへと旅立ってしまいました。

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元気だったころ

 人間の顔をまっすぐ見つめ、目が合えば抱きついてき、顔にスリスリしてくる。

そんな、人間が大好きで大好きでたまらなかった、何よりも大切にしていた愛しい我が子でした。

全く受け入れられない。ああすればよかったこうすればよかった。もっと楽に逝かせてやりたかった。沢山の思いがあります。

しかし、このブログはきなこのことを忘れないため、記録を残すためのものなので、記憶が新しいうちに書き留めておきます。

随時、編集するかもしれません。

(↓なが~い記事続きます)

 この日は翌日も仕事だったので、0時くらいにもう寝はじめました。

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頭の奥で、カーテンを上げて、大好きだったお外を見せてます。

こうして見るとわかりませんが、触ると全身ガリガリで、肩や腰の骨がゴツゴツ出ていて、地べたに当たるととても痛そうです。

なのに硬い地べたが好きなんですね。こうしてゴロンとしているきなこの隣で、手を握りながら眠っていました。

 

AM2:00ごろ

きなこが身じろぎをした気配で目が覚めました。上体を起こし、息だけのような声で鳴きながらきょろきょろしているので、おでこにキスしてあげて「ここに居るから」と声をかけてあげました。

すると安心したのか、再び眠りについてくれました。

 

それから時折寝返りをうったり、

↑の写真のタワーの二階(お気に入りの場所)に登らせてあげたりしました。

喉の奥になにかがつっかえているのかわかりませんが、「ウップ」という感じで吐きたそうな仕草を繰り返していました。

 

AM3:30ごろ

えずきはおさまりました。お腹を触るとなんとなくだるだるしていて、ふと、昔看取ったうさぎのお腹の感触を思い出しました。

だいぶ限界に近づいている気がするのですが、それでも心臓は元気に動いています。

神様、残酷ではありませんか。

どうか、どうか、きなこが苦しまないよう穏やかに逝かせてあげてください。

静かに鼓動を止めてやってください。

そう何度も何度も祈りました。

 

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座布団に載せました

 タワーのままだとお世話しづらいので、人間のベッドの上にマットを敷いて、そこに寝かせました。

ブランケットなどをかけると嫌がる子だったのですが、この頃にはもうなされるがままです。

時々また苦しそうにえづいたり、口をぱくぱくさせています。

お水をやることもできません。

いよいよ看取る時が迫ってきたと思いました。

大好きだったねこじゃらしをネットで注文しておきました。

 

AM10:00前後

ベッドは仕事用デスクの背面にあるため、きなこの変化を察知することができません。

なので、デスクのスペースを開けて、そこに寝かせてやりました。

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この写真だいぶつらい

これなら少しの異常もすぐに気づいてやれます。落下してしまってはいけないので絶対に目を離せません。決してトイレに行かない固い決意です。

タイピングをすると耳がピクピク動いていたので、静かにタイプするよう気をつけました。

こうして、お世話しながら仕事をしていました。業務中に良くない事だとは分かっているのですが、遅れた分はこの先何日かかってでもサビ残して取り戻すつもりです。

 

AM11:30ごろ

特大の目やにで右目が半分ふさがっていたので、取ってやります。

そしてお口の掃除をしました。

ここしばらくの間ず~~~っとお口が臭いです。強制給餌を嫌がりだした頃からずっとくさい。飲み込みきれなかったエサなどが口腔内で腐ってるんだろうなと思います。

気持ち悪そうなので歯磨きシートでぬぐってやってたら、発作が起きました。

口をぱくぱくさせ、「うっぷ」とえずき、首をぶんぶん振って苦しそうにもがきます。

棚に頭をぶつけそうだったのでガードしてやり、「大丈夫だから」「ここに居るから」と声をかけてあげます。

暫くすると、また眠りに付きました。

 

こうして、覚醒、発作、眠り(というか気絶というか)を繰り返していました。

きなこの死因は衰弱死に当たると思います。2ヶ月前に獣医さんに聞いた時も、そうなるだろうとおっしゃっていました。

衰弱死ってもっと楽なものかと思っていました。「眠るように」亡くなった子の話とかを見て、そうだったらいいなと思っていました。

 

全然違いました。きなこは苦しそうでした。

母に「きなこの心臓強すぎる」「安楽死させたい」「全然穏やかじゃない こんなはずじゃ」とLINEを送り(今思えば迷惑ですね)、いっそ自分の手で一気に首を締めてあげた方が楽なんじゃないかとまで思いました。

今すぐ病院にかけこみたかった。きなこを殺してくださいと頼みたかった。

でも今日はかかりつけの獣医さん、おやすみだったんです。

だから、もし明日まできなこの身体が保ってしまうようであれば、病院に連れて行って楽にしてもらおう、と決意しました。

 

PM14:55

何度目かの発作です。空気が吸えない感じです。

身体を起こそうとするので、支えてやります。

 

何度も何度も天に祈りました。

どうか楽に逝かせてあげてください。

きなにも声をかけました。

「頑張ってるね」「その頑張りは神様も見てくれているよ」「でももう十分だから、頑張らなくていいんだよ」

そして

「心臓のバカ、早く止まってよ、きなこを逝かせてあげてよ」

と怒りもしました。

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これも元気だったころ。甘えん坊さん…

PM17:25ごろ

また発作が起きました。

えづいて、たんか何かを吐き出したいんだけど、吐けない感じです。

とっさにシリンジを口にあてがって空気を送ることを試みましたが、うまくいきません。

身体を起こそうとするので、背中からかかえてやるかたちで支えてやりました。

頭をぶんぶん振り、苦しそうにもがきます。

その頭の感触は、私の胸に今も生々しく残っています。

きなの両足がピン!とつっぱるのが見えました。

下半身が落ちないように支えてやろうと思い、身体をおおうブランケットの中に手を差し入れると、なにやらあたたいものを感じました。きなのおしっこです。

「あっ!?」と思った時には、右腕で支えていた上体ももう脱力していて、

胸に耳を当てれば、「こぽこぽ…」と消化器の音が少しきこえたものの、あんなに止まれ止まれと願っていた鼓動は、もう聞こえませんでした。

 

ようやく、ようやく終わった。

 

思い切り泣きました。泣き叫びました。まさに半身が引き裂かれる思いでした。私の半分が居なくなった。失ってしまった。

さっきまで腕の中にあったいのちが、もう居ない。

あまりに大きな喪失感に気が狂いそうでした。

でも、ようやく解放された。もう苦しくないんだ。

悲しみと同じくらい、ホッと安堵したのを覚えています。

 

そうして動揺しながらも、母にLINEを送りました。いつもより早い電車で、急いで帰って来てくれている所でした。

 

ぐんにゃりと脱力したきなを膝に乗せて、少し、なでてやりました。

あんなに人懐っこかったのに、だっことお膝はあまり好きじゃなかった気まぐれきーちゃん。

いまなら乗せ放題だなと、ぼんやり思いました。

 

そして、ずっと気持ち悪かったであろうお口を開いて、汚れを拭ってやります。

白いねばねばとした液が沢山拭き取れました。これがきなこを苦しめていたのか…と忌々しく思いました。そうじゃないかもしれないけど。

無理に口を開いてでも、綿棒などでこれを取ってあげていたら、どうだっただろう?

今となってはどうしようもないことを考えてしまいます。

そりゃ楽になったかもしれないけど、その分、生の苦しみが続くだけだったかもしれませんしね…。

 

おしっこで濡れた身体も拭いてやります。濡れてると腐敗が早まってしまうそうなので。

そして、通院に良く使っていたダンボールに、私が仕事で良く使ってたひざ掛けを敷いて、寝かせてやりました。

きなこはデカいのでなかなか窮屈です。

 

やがて母親が帰ってきました。死に目に会えず残念がっていましたが、きなが苦しんでる姿を見せたくなかったんだよ、と私は思います。

介護中によく食べさせていたとろリッチを持たせてあげて、首輪をつけてあげました。

母が色々と話を聞いてくれたおかげで、そのときはだいぶ、気が楽になりました。

頭が混乱しすぎてて、何を話したかってあまり覚えてないんですけどね…。

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これも元気(ry ブタがきなこ、カエルがミロ(通称みそ)です。

ペット火葬は予約がいっぱいで、土曜日になってしまいました。

遺体を見るのが辛いのですぐ火葬できないのは結構こたえましたが、仕方ありません。

母が冷凍しておいてくれた保冷剤を腹に抱えさせてあげました。

 

泣いていると母が何回も肩を抱いてくれたのが、とてもありがたかったです。

はなちゃんが私の胸に飛び乗ってきて、お尻の*を顔面におしつける勢いで見せつけてきたのも笑いましたw

しかし、晩ごはんはあまり食べることができませんでした。

そういや、私がきなこーー!!!と泣き叫んでいるのに、隣室の父親は全くそのことに気づいていなかったらしいのは、ちょっと苦笑ものでした。私を気遣ってスルーしてくれてたのかと思ってたのに、気づいてなかったんかい。笑

 

その後、きなこが倒れて私がショックを受けていた時に、親身になってメッセージを送ってくれた友人たちに報告をしました。

迷惑かなと思ったのですが、お2人とも優しい気持ちを返してくれて、感謝しかありません。人間、一人では生きていけないなぁと実感しています。

この二ヶ月の闘病生活は、ずっとそれを実感していました。

家族も友情もつっぱねて生きることもそりゃ可能でしょう。元気な時はそれで良いでしょう。ただ、こうして弱ってしまった時に、すがれる相手が居るというのは本当にありがたいことで、救いになっているなと思います。。。

 

介護そのものにしても、私が仕事で動けない時には母が代わりに行ってくれましたし、父も文句も言わずに車を出してくれました。(私も免許持ってるけど運転不安なんですよね…)

私がお風呂に行ったり、用事できなこから離れる間は、母が彼を見守ってくれました。

「これなら食べるんじゃない?」と、パウチや缶詰も色々と買ってきてくれました。一緒になってお世話してくれました。

 

そうして周りが支えてくれたおかげで、

「ああ、あの時病院に行けていたら」

「ああ、あの時目を離してしまったから」

そういった後悔は一切ありませんでした。やるべきことはやった。やりきりました。私もきなこも恵まれています。

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これも元(ry

 今、きなこは、ダンボールの中でドライアイスにまみれて私の足元に横たわっています。

ドライアイスってすごいですね、ご遺体に使うのは何も初めてじゃないんですが、今回は日数がある=ドライアイスの量が多いためか、耳までカッチカチになってます。

さむくてごめんね、ごめんね、でも、その時まで長く一緒に居るためだから。

 

締めの言葉も見つかりませんが、これが亡くなる当日の記録です。

発作時の動画も実は撮ってます…これもきちんと覚えておくべきかなって…。ただ、やっぱちょっと後悔してます。見れないし、かといって消せないし。

 

きなちゃん…。