きなこを失って、翌
昨晩どういうふうに寝たっけ、って感じです。覚えてない。
箱に安置したきなをなでていたような気もする。
日光が当たると痛みが早まるというのを見たので
光が漏れないようにカーテンを整えたり、ダンボールで蓋をしてあげたり…なんやかやしてたような気もします。
(↓記事続きます)
朝起きても、きながいない。
きながいない世界はこんなに静かなんだ。ヤツ、オアーンオアーンうるさかったからなぁ。
どう考えても体調不良である事は事実なので、会社にお休みの連絡を入れました。
今日一日は勘弁してください。残業するんで。頑張って働くので。どうか。
食事する気もおきず、ベッドにこもり、時々きなをなでたり、ネットでペットロス系の書き込みやその返信を読んで、心を慰めてました。
昨日は「ようやく楽になれたね」という安堵の気持ちが大きかったのですが、
今日になって、改めて大きな喪失感に襲われました。
たとえ元気がなくても、そこに居てくれてた。駆け回れなくても、生きてくれてた。それが居なくなってしまった。
きなこどこ?きなこおいでよ、きなこあいたいよどこにいるのと、
年甲斐もなくわあわあ泣き叫んで、ああ自分ってこんな声出るんだなーと思うほどに、泣いて、叫んで、もうどうしようもなくもがいてしまいました。
きなこの写真を見ては、ああなんて可愛い子なんだ、なんて幸せそうなんだ、この幸せをどうして継続してあげられなかったのか。ああしていれば、こうしていれば。ひたすら後悔、後悔、後悔の念が波のように押し寄せてきました。
キャリア猫を飼ってらっしゃる方にむけてちゃんと書くべきかもしれませんが、ちと今は無理です。
きなこは保護してまだ3年も経っていない猫です。
そんな猫がこれほどまでに、10年付き合った他の猫ちゃんよりも私の精神にがっちり食い込んで離れない、これがどれほどのことか伝わりますでしょうか。
人間が大好きで大好きで大好きでたまらない猫だったんです。ベッドで気持ちよく寝ていたハズなのに、ちょっとトイレに、ちょっとお風呂に、ちょっと手をあらいに席を立っただけでぴゅーーーーっとついてくるような子でした。お風呂も一緒に入りました。お客さんにも愛想よくじゃれつくような子でした。
私の生活はきなこなしでは考えられませんでした。
エイズのこの子を、他の猫ちゃんから隔離するために一人暮らしもはじめました。
色々あって結局また実家に戻った訳ですが、確実に私の人生を変えてくれた猫でした。
たった2年で、気づけば私の半身になっていた。
そんなきなこを守れなかった。
もう居ない。名前を呼んでももう来てくれない。一体どうやって、この喪失感を埋めれば良いのでしょうか。
お昼になったらお花買ってきてあげるよ、ときなこに約束していたのに、
気がついたらまた眠っていました。ダメな飼い主です。
その代わり、母が季節はずれのひまわりを買って帰ってきてくれました。
私が「きなこにはひまわりが似合いそう」と言っていたからです。
昼には父がドライアイスを買いに行ってくれていたので、これできなの遺体も守られます。
そして、なんと友人もお花を贈ってくれていました。本当にありがたく、感謝してもしきれません。分けてもらったそのやさしさが本当に嬉しいです。同じ言葉の繰り返しになってしまうけど、ありがとう…。
そうして、ようやく、きなが亡くなった時のことを記事にできました。(前回の記事です)
また、今朝はめいちゃんがおもいっきり甘えにきて、ギュッと目を閉じ私に頭を押し付け、幸せそうにゴロゴロ言ってくれました。
きなこの介護のために部屋から追い出してしまい、この2ヶ月ろくに甘えさせてあげられませんでした。今までほったらかしで悪いことをしました。
今はまだ、遺体や線香、お花といった物があるので部屋にはあまり入れられませんが、すべて済んだらお部屋にも自由に出入りさせて、思う存分甘えさせてあげようと思います。
冷気を逃さないように蓋してます。見栄わるいけどこれしかなくて…。
お気に入りのじゃらしも届いたので、中で抱かせてあげています。翌日配達ありがたいですね。
火葬は明後日なので、明日もまる一日、一緒に過ごせます。
つらい、つらい、つらいけど、どうしたってきなこは戻ってこない。
それならば、いつか虹の橋で再会できる日を楽しみにするしかありません。
きなこは天国、私は地獄で離れ離れ\(^o^)/なんて事にならないように、善き人になろうと決意しました。
私は性格も良くないし、僻みっぽいところもある悪い人間ですが、
これからはどうか、人を恨んだり憎んだりしないよう、穏やかに優しく生きて行きたいです。
これまでの良くない人生を精算できるよう、善き行いをして、
天国行きのチケットを手にし、大手を振ってきなこに会いに行きます。